天国の犬に寄せて

 飼い犬が亡くなった。ここ数年ガクンと体力が無くなり、そしてこの一ヶ月も食欲が無くなり寝ている時間が増えたのでそろそろ覚悟を決めなきゃなと思いながら過ごしていた。が、まさか本当にその日が来るとは思わなかった。夜勤明けの朝5時半、仮眠から起きてぼーっとスマホをいじっていたら母から「呼吸がおかしい」と連絡が来てすぐに折り返した。状況を聞いている最中に突然母が大きい声で犬の名前を呼んだ。その時にああ今日だったのか、と思った。とりあえず電話を切り、黙々と仕事をこなした。そのとき私はコロナ病棟で働いており、レッドゾーン内には看護師がふたりしかおらず、ひとりは早々に朝の仕事を終えてグリーンゾーンに出ていたが、私は寝たきりの患者さんの食事介助をしながらずっと泣いていた。
退勤時間と同時に職場を出て、急いで実家に行った。電車の中でも泣いており、ずっと下を向いていた。玄関を開けて階段を駆け上がると母が出てきて「参ったよ」と涙声で言っていた。実際見たら犬の死が現実になってしまう恐ろしさはあったが、ドアをそのまま開けた。いつもいるベッドの上に横向きに寝ている犬を見て、大声で叫んでしまった。実家に帰るといつも私に顔を向けて短い尻尾をピコピコ振る犬がこっちを見ない。息をしていない、触ると冷たい。嫌だ嫌だと大声で泣きながら名前を呼び続けた。声が外まで響くので母が窓を閉めたのがわかった。私は20分ほど大声で喚いていた。
もともと母は仕事の日だったので、私と入れ替わり家を出た。この日は5月にしてはやや熱く、犬が腐敗しないようにアイスノンをこまめに取り替え、エアコンで冷やしてくれと頼まれた。この犬は寒いのが苦手で布団の中に潜り込んで一緒によく寝ていたので、アイスノンを取り替える度に冷たくて泣きながら謝った。片時も離れたくなくてコートを着て犬の横にいた。死後硬直がすでに始まっていて、いつも曲げて横になっている脚が曲がらなくなっておりまた泣いた。
 早めに仕事を切り上げて母が帰ってくる頃には私が泣き喚くことはなくなったが、まだ涙は止まらなかった。帰ってきてから犬が無くなるまでの時系列を母から聞く中で、この犬が父親の部屋で倒れていたことを知った。この一ヶ月の間、散歩に行くほどの体力がなかったので普段過ごしている二階の全ての部屋に入れるようにしていた。若かりし犬はいたずら好きでその辺にあるものを咥えては噛みついて破壊活動を繰り返すため、父の部屋はバリゲードを置いて入れないようにしていたのだった。父が頻繁に入院し、亡くなってからも犬は父の部屋の前で中をじっと覗き込んでいることがよくあった。先週私が買い物から帰ってくると父の部屋から出てくる犬を見かけた。何をしていたのかと確認すると、おそらく父のベッドのそばで寝ていたんだろうなという範囲で床がほの温かくなっていた。
 犬は退職後の父が選んで迎えた犬で、具合が悪くなるまでの10年間ずっと父が世話をしていた。今回はきっと父が犬を迎えに来たんだと思った。父はホスピスに行く予定だった最後の入院をする前にも入退院を頻繁に繰り返しており、病気のせいで喋るだけで動脈から出血して命の危険があったため、声を出さないように全ての家族とのコミュニケーションを避けていた(筆談はもちろんできたが父はそれをしたがらなかった)。家でも寝たきりのような状態であったため、犬にも会わないようにしていたようだ。その時期から計算すると父と犬は2年くらいちゃんと接してなかったように思う。だからさすがに父も寂しくなったんだろう。12歳8ヶ月、寿命といえばそれまでだし仕方ないのだけれど、とても悲しく、私のことを置いていかないで、寂しいよと何度も犬に声を掛けた。一緒に私も死んでしまいたいと冷たくなった犬の体をさするたびに思った。
 ずっと泣いているわけにもいかず、ペットの葬儀会社に電話をした。翌日の10時半に葬儀を行えることになった。その時点で一緒に過ごせる時間があと24時間もないことに気づいて、やっぱり泣いてしまった。母は何も考えず寝たいと言い、普段私が寝ている部屋で寝ることになり、私が犬と一緒に最後の夜を過ごした。夜勤明けであるのと泣き疲れたのもあって、夕飯を食べたあとにすぐに寝てしまった。今までだったらベッドの上を歩いて何度も寝る場所を変える犬はその日ずっと動かなかった。布団の中に潜ってこなかったし、腕枕をしてほしくて私の腕を手でチョイチョイ引っ搔いたり、私の体にお尻を押し付けて寝ることもなかった。私の右側でずっと背を向けて寝ていた。夜中に2回ほど起き、その度に泣きながら犬を撫でた。朝になったら私の方を向いてないかなと思ったけど、やはり背を向けたままだった。母と朝方に部屋に来て、まだ起きないな、とか、ごはん食べてないからお腹すいたかなと言ってふたりで泣いていた。
 9時頃になって業者が来る前に犬を一階に移動させた。うちでの最後のごはんだよといつも通り食事を用意した。わかっているのに、起きてよとかごはん食べようとか言ってしまう。時計を確認しながらもうすぐ迎えが来てしまうと一緒に横になって首を撫でていた。業者が来て、青地に月や星が散らばった箱に犬を納めて、お花やオヤツ、いままで着ていた洋服を入れた。もし向こうに行った時にすぐわかるように私や母の写真も入れた。忘れてはいないだろうけど、向こうで父の顔が分からなくなったら可哀想だから父の写真も入れた。
 犬は業者の車に乗せられ、私たちは自家用車で葬儀場まで向かった。母は「初めて他の人の車にひとりで乗せちゃった」と泣いていた。葬儀の手続きをして、あれよこれよという間に火葬場の前に着いてしまった。祭壇の前に先程箱に入れた犬がいてそこで母とふたりでまた泣いた。母はありがとうねと犬を撫でていたが、私はどうしてもありがとうが言えなくてずっと名前を呼びながら泣いていた。録音だけどお坊さんの声が聞こえてきて、焼香もした。色んなことをこなす度にもうすぐ犬がこの世からいなくなってしまうという事実だけが頭の中にあった。そして焼香が終わったあとに最後のお別れがきてしまった。犬はまだ目を覚まさない。早く目を開けてしっぽを振ってほしかった。近づけた手を舐めて欲しかった。何度も名前を呼んでいるのに、まったく起きてくれない。本当に死んでしまい、最後のお別れの時がきてしまった。

箱の蓋が閉められたところで、少し記憶が飛んで待合室まで歩いてる最中だった。母親は炉から煙が出るところを見たがっていたが、私はそんなもの見たくないとまた泣いていた。
 待合室について10分ほどずっと泣いていたが、しばらくして諦めなのか母と仕事の話などをし始めた。1時間半後、骨になった犬を見た時にはやや冷静になっており、骨の部位の説明を受けてから分骨や骨入れをした。
 そして、家に帰るとどこにも犬はいない。ベッドの上、押し入れの奥、テレビ前のクッションの上、父親の部屋…色々見たけどいなかった。ブランケットやクッションはお灸と混じった犬のにおいがした(晩年の犬は鍼灸をよく受けていた)。
 私が専門学生時代の秋に犬は我が家に来た。一番懐いていたのはもちろん世話をしていた父であったので私はときおり撫でるだけだった。実習などで忙しく、そのときの記憶はあまりない。就職してから6年くらいは私は実家にあまり寄り付かず、そのときの思い出もそんなにない。2018年の夏前に父がガンになったことがわかり、実家に帰る頻度が多くなった。そのとき既に犬は9歳だった。その時は母が主体となって犬の世話をしていたが、父の病院に行くのに家を空ける時があり、休みの日はよく実家に帰り犬にごはんをあげて一緒に過ごした。しばらくすると私の事を覚えたのか私が来るとしっぽを振るようになった。フレンチブルは生まれた時にしっぽを切除するらしいが、この犬はなぜかしっぽが短く残っており、嬉しい時はそのしっぽがピコピコ動くのを見ることができた。父がガンになるまで犬は誰かがそばにいるという環境にしかいなかったため、誰もいない家に私が帰るとき、悲しそうに吠えている犬の鳴き声が外から聞こえていた。まあ、いつからかその環境に慣れてしまったのか気づくと鳴かなくなっていた。仕方ないこととはいえ可哀想なことをしてしまった。母曰くペットホテルに預けたかったが、小さい頃にそのような教育をしなかったためペットホテルにも預けることもできなかったらしい。
 辛い時悲しい時あの犬が涙を舐めてくれて慰めてくれた…なんてことは一度もなかったけど、いつもとぼけた顔をしてそばにいてくれるだけで私は幸せだった。離れて暮らす私がそうであったのだから父や母は言わずもがなだろうと思う。
犬が幸せだったのかどうかはわからないけれど、私は一緒に過ごせて幸せだった。犬もそうであれば嬉しいなと思う。まだ「ありがとう」とは言えないけれどいつかそう思える日が来ればいいなと思う。

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2022年5月18日に愛犬が虹の橋を渡っていき、その翌日に書いた文章です。一年経ってももちろん悲しみは癒えることはなく半身がもがれたような喪失感の中でなんとか生きてきたような気がします。毎日犬に会いたいと思っていますが、夢にも出てきてくれないのでどこにいるのでしょうか。

 

天国のブブちゃんへ、どこに行けば会えるのかな、また一緒にお昼寝しよう。